野田元首相の国会追悼演説は良かったが心を打たれなかった理由 

国会での追悼演説

 終活の動画や自分史動画は、ご自分の葬儀で上映することも可能です。その場合は制作時にご希望をお伺いして、葬儀の際に上映しても差し支えないように編集しておく必要があります。例えばプライバシーに関わる内容で入れないほうが良い部分を外しておいたり、BGMはその場の雰囲気にも合うものを使用したり、テロップは参列者が分かりやすいように少し大きめの文字で全ての発言部分と文字説明が必要なシーンに入れておく等々です。

 そのようなお葬式でも上映する動画を制作している者としては、追悼の挨拶の内容にも関心があります。菅前首相の安倍氏国葬での追悼の辞には心を打たれましたが、野田元首相の国会での追悼演説はそれとはちょっと違うものを感じてしまいました。

 追悼演説は野党の代表者が行うという習わしだそうですが、その中での人選としては野田氏が最適だったでしょう。野田氏は安倍氏に政権を引き継いだ前任の首相であり、その前の党首討論で両者が議論する中で解散総選挙を決断し、政権交代の引き金を引いた当事者でもあります。演説では皇居での首相親任式の控室におけるやりとりが紹介されましたが、二人だけの空間で重要な会話をした関係でもあります。他の方にはこんなエピソードは話せません。

 演説の内容についても、野田氏の真摯な人柄や政治に対する熱い思いが存分に出ていて、好感を持った人が多いようです。精いっぱいの内容を話されたと私も思います。もし他の方が演説したらこのような内容にはならず、好感度はもっと低かっただろうと推測しますので、その点でも野田氏は最適だったと思われます。

 私は支持する政党はありませんので、自民党贔屓をするつもりもありませんが、私がこの演説で菅氏の時のように心を打たれなかったのは何故かと考えてみると、二つの点に思い至りました。

 ひとつは演説者が野党代表という立場による、ある意味で必然的な部分です。とくに野田氏は安倍氏と政権を取り合っていたのでなおさらですが、演説の内容にどうしても対抗意識というか、「こっちも負けていないぞ」的な姿勢を出さないと、野党の議員が納得しません。その結果、故人と「両並び」しているかのような言い回しや、対等だという姿勢を演説の中に感じてしまいます。故人を追悼するだけでなく同時に自らの主張を組み込んでいることが、純粋に心を打たれなかったひとつの原因だと思います。

 もうひとつは野田氏の首相としての評価に関わる部分です。とくに尖閣国有化で引き起こした中国との摩擦が今も続いているのは、野田氏の責任が大きいと思います。その当時、中国の胡錦濤主席との立ち話での姿がニュースに出ていましたが、うつむいて相手の顔を見ずに(見ることもできずに?)ボソボソと話している野田首相を、背の高い胡主席が見下ろしながら険しい表情で睨みつけていた映像が忘れられません。その映像が象徴しているように、野田政権ではダメだと感じた人は多いと思いますし、実際その後で野田氏と民主党は政権を失っています。追悼演説を見ている時もそれを思い出してしまい、心に深く響きませんでした。

 この演説については、ご遺族である昭恵さんがこの演説で涙を流したのだからそれで良いじゃないかと言っても良いのかも知れませんが、一般的な葬儀の弔辞であれば、故人に近しい立場で利害が対立したりしていない人が選ばれるべきところ、国会での追悼演説者は野党から選出するという習わしのため、皆の心を打つような演説はなかなか容易ではないと思いました。