言葉のスパイス(5) 「我が身を抓って人の痛さを知れ」 

身を抓って人の痛さを知れ
 言葉のスパイス 第5回は、ことわざ『我が身を抓(つね)って人の痛さを知れ』です。今回は文字通りスパイシーな言葉です。
私たちの多くは言われなくても理解している「人の道」だと思います。
 
 北京オリンピックで不可解な判定が相次いでおり、さまざまな競技でさまざまな国の選手たちがその影響を受けています。
最高峰の国際試合で、しかも4年に1回しか行われない大会で、そのような異常事態が多発しています。これほど多い大会は今までにあったのでしょうか。
選手たちの心情は察するに余りあります。
 
 判定ミスというようなものではなく、どういう動機かは分かりませんが、何らかの考えで "敢えて" 行っています。
それらの判定をした審判員や検査員など運営者に贈りたいのがこの言葉です。
 
 問題の運営者は西欧の人たちが多いので、西欧で同様の言葉をさがしたところ新約聖書にありました。

 "Do unto others as you would have others do unto you."(聖書マタイ伝7-12)
和訳は「己の欲する所を人に施せ」だそうです。
 
 オリンピックは誰のための大会なのか。それを正しく理解している人に運営してもらいたいものです。
競技が終わった後で大会の裏方からこんなどんでん返しがあるのかと思うと、今後は各競技の信頼も人気も失うことになると思います。

 

 

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