故人をそっちのけに国葬の実施や反対を利用しようとした人たちに対する違和感

終活の動画や自分史動画の制作をご発注いただくお客様の中には、いずれご自身のお葬式でも上映することを想定されている方がおられます。そのような上映機会もあるとあらかじめ理解して動画の内容を編集しておけば、お使いいただくことはもちろん可能です。
そういう動画を制作している人間としても、今回の安倍氏の国葬"騒動" を見ていて違和感を感じました。
この違和感は何だろうと考えてみると、国会審議なし・閣議決定というプロセス、多額の税金支出、旧統一教会との関係、国民への弔意強制の有無など、報道されている個々の論点だけでなく、もっと根源的な部分、つまり国葬を進めた側も反対した側も、故人をそっちのけにして自分たちの利益のために利用しようとしたように見えることが違和感の元です。
国葬実施を求めた議員たちは、国葬で安倍氏の権威を高めて自分や派閥の利益につなげたい。一方、反対運動を主導した人たちは、デモで一般の参加者を増やして自分たちへの支持につなげたい。そのような意図が透けて見えました。国葬が終わり、それぞれ思惑どおりになったのでしょうか。
報道をTVで見ていただけの多くの国民は、この騒動をどう思ったでしょう。安倍氏への評価が人によってさまざまだとはいえ、故人を偲んで静かに見送るというだけでは済まなかったことに違和感を感じた方はとても多いと思います。
国葬では無味乾燥な追悼の辞がいくつか続いた後、菅前首相の追悼の辞が始まると昭恵夫人がハンカチで目を押さえて聞き、述べ終わると異例の拍手が場内で起きました。ただの式典で終わらず少しは葬儀らしくなったと思いました。これはいつも近くで接していた立場の人だからこそ話せる内容です。心のこもった追悼の挨拶とはこういうものだと改めて思いました。
TVのワイドショーのコメンテーターが、人の心に響いたのは「政治的意図」で作られた原稿だからだとか、「当然、電通が入っている」とか言っているようです。しかし全文を新聞社のサイトで読み返してみても『お涙頂戴』的なあざとい部分はないですし、安倍氏を近くで見てきた菅氏が述べたものとしてごく普通の内容で、問題があるとは思えません。周りの人たちが事前に原稿を推敲するのは通常どおりでしょう。
もし国葬でなく内閣葬や有志の主催だったとしても菅氏は同じ内容を述べたと思いますが、会場に居合わせた人だけでなくTVを通して多くの人たちも聞くことができたのは良かったのではないでしょうか。
※コメンテーターの上記発言は、翌日「事実ではなかった」とのことで謝罪のうえ撤回されました。