終活世代の健康趣味・街道歩き 第16回:中原街道(1)
終活を始める年令に決まりはありませんが、定年後から80歳過ぎくらいまでのお歳でまだまだ元気な方々をあえて終活世代と呼ぶなら、その皆さまの健康維持に最適な趣味のひとつが街道歩きではないかと思います。
街道歩きは一人でもふらっと日帰りのお出かけができて、電車賃程度の出費で済み、まとまった距離を歩いて足腰を鍛えられ、単発ではなく何回かの連続企画となる、まさに最強の趣味ではないでしょうか。
関東・甲信で日帰り可能な範囲の街道歩き情報をお届けするこのシリーズの第16回は中原街道の第1回目です。
この街道は江戸城から平塚市中原までの約62km。江戸時代、平塚に徳川将軍の中原御殿があり鷹狩などのために使っていたとのことで、そこへ向かう街道です。
直線に近いルートになるよう整備された街道で、距離が短縮できるため、昔は往来に東海道でなくこちらを利用する人も多かったとか。
中原御殿は現存しないので、例えば日光街道終点の日光東照宮や成田街道終点の成田山新勝寺、川崎街道終点の川崎大師のようなグランドフィナーレは待っていません。ゴールしたときの達成感は「歩き切った」ということだけになるかも知れません。
都会のため沿道にはいろいろな施設が建っていて少しは物見遊山の気分も味わえそうですが、まあその程度の地味な街道です。(笑)
桜田門から武蔵中原駅まで
初日はJR南武線・武蔵中原駅までの16.5kmで計画しました。街道が駅の前を横切っているので帰りが好都合です。
午前7時すぎにスタート地点へ行きます。旧中原街道の起点は虎ノ門ですが、現代風に桜田通りの起点である桜田門(写真)をスタート地点としました。皇居の周囲はランニングコースですので、この時間、もう沢山のランナーが走っています。ここから歩行開始です。
国道1号(桜田通り)を三田方面へ。霞ケ関駅・虎ノ門駅を通過します。平日は働いている人がいっぱい歩いているので、どの街道でも都心を歩くときは休日の早朝と決めています。ガランとしていて気持ちがいいです。
街道歩きではいつも駅そばや立ち食いそばを朝食で食べるのを楽しみにしています。神谷町駅に富士そばがあるのを調べていたので、そこで天ぷらそば(名前は豪華ですが、中身はかき揚げそば)を食べました。普通においしいです。この店はほぼ24時間営業らしいです。
三田の慶應大学東門の先で1号線に沿って右折。曲がらずにまっすぐいけばすぐに札ノ辻交差点があり、ここが東海道と最も接近している地点です。正門を過ぎてラーメン二郎・三田本店の前を通ると、開店待ちの行列が早くも20人以上。いったい何時に開くのかと思って調べたら、なんと朝8:30からでした。朝ラーメンであの山盛りを食べるとは・・・。
白金高輪駅・高輪台駅・五反田駅を過ぎて中原口交差点で国道1号と離れて都道2号(綱島街道)に入ります。
荏原・旗の台・洗足池・雪が谷・田園調布を越えると丸子橋です。河川敷で子どもたちがサッカーをしていて、橋の上からグラウンドをビデオ撮影しているお父さんがいました。分かりやすい映像が撮れそうです。
橋を越えて丸子橋交差点で綱島街道と分かれ、本日の終点、JR武蔵中原駅へ。
武蔵中原の「中原」は街道名から取って付けた地名だった
到着時刻は11:30でしたので、朝食と休憩を含めて約4時間半。1時間でだいたい4kmの標準速度で歩いたことになります。
幸いなことに大半の行程が日陰で歩けました。考えてみるとこの街道は基本的に南西方向一辺倒ですので午前中は陽ざしを避けやすいのと、都内は沿道のほとんどに建物が並んでいるため、向かって左側の歩道にずっと陰があります。これは実際に歩いてみて分かったことです。これならもっと暑い時でも快適に歩けそうです。
それと長い下り坂が多いと感じました。下り坂で歩行が楽になり、随分助けてもらったという感覚です。
中原街道が武蔵中原を通るのはなぜだろうかと思っていたのですが、調べてみると、1889(明治22)年に小杉村や上丸子村など6カ村が合併した際に、 "中原街道が通っているので" 中原村となったそうです。
要するに、取って付けた名前なんですね。
合併後の村名について話し合いで揉めた結果なのでしょうか。
1925(大正14)年に住吉村と合併して中原町となり、1933(昭和8)年に川崎市と合併したのち、1972(昭和47)年に川崎市が政令指定都市となったことで現在の中原区が誕生します。
ちなみに中原区内に中原という町名は存在しません。古くからの地名ではないからでしょう。
次回は武蔵中原駅からスタートして川崎市・横浜市の区間を歩きます。
自分史動画や終活で作成する動画に街道歩きの様子を入れるのもいいと思いませんか。ご希望の際は、可能な限り同行撮影させていただきます。
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吉川 友清
一分一厘舎代表。
映像作家、終活ライフケアプランナー・防災士・援農ボランティア。
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制作・撮影・編集ほか、事業全般を担当している。