終活世代の言葉のスパイス(11) 復興支援ソング『花は咲く』の「私は何を残しただろう」 

復興支援ソング・花は咲く

 終活世代の言葉のスパイス 第11回です。
終活を始める年令に決まりはありませんが、定年後から80歳過ぎくらいまでのお歳をあえて終活世代と呼ぶなら、その皆さまの暮らしの中でひとつのスパイスになるような言葉を見つけてご紹介してまいります。

花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう (『花は咲く』作詞:岩井俊二)

 NHKの震災支援プロジェクトで2012年に生まれた曲『花は咲く』の歌詞、「私は何を残しただろう」です。
この歌詞について、終活の視点も入れて考えてみたいと思います。

 岩手・宮城・福島県の出身者やゆかりのあるタレント34名(組)が出てくる初期のミュージックビデオは、当時NHKで何度も繰り返し放送されましたよね。
私はこの曲の歌詞で一か所だけ、「私は何を残しただろう」の部分に他の歌詞とは異質な印象といいますか、少し引っかかりを感じました。
同じように感じた方もおられるのではないでしょうか。

 歌詞の一番を引用します。


『花は咲く』 作詞:岩井俊二

 真っ白な雪道に 春風薫る
 私は懐かしい あの町を思い出す

 叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
 いまはただ懐かしい あの人を思い出す
 誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている
 誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
 花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう


 最後の「私は何を残しただろう」が、突然「私」自身への問いかけになっていて、しかも難しい内容の問いかけです。
この歌の主人公である「私」は誰のことでしょうか。自然に考えれば、大震災後も生きている私たち一人ひとりのことだと思う方が多いと思います。
とすれば、「何を残しただろう」は、「いったい何を残せたのかという疑問や、反省なのだろうか」と思った方もおられるでしょう。
歴史地震を教訓にして十分な防災対策を整備し残してこれなかったという、私たち自身への自責の念なのでしょうか。

 しかし作詞した岩井俊二さんによると、「私」は震災で亡くなった方々のことだそうです。
岩井俊二さんは知人から「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、死んで行った人間たちの体験は聞くことができない」と聞き、生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないと考えて、それをひたすら想像しながら歌詞を書いたと言っています。

 だとすれば、亡くなった人の反省を想像して歌詞にするはずはなく、もっと肯定的なものだろうと思います。
そして後に残された私たちは「たくさんのことを残してくれてありがとう」と返すのが普通でしょう。

それと同時に、やはり前触れもなく突然、大震災に巻き込まれて亡くなったのですから、時間さえあればもっと多くのものを残せたのにという無念さを「私は何を残しただろう」という自問で表しているようにも感じられます。
この大震災のあとも各地で災害が続いていますし、さまざまな事件で突然命を失う人もおられます。本当に無念なことと思います。

 ところで、この歌詞は2015年に一部変更され、曲の最後に3回繰り返す「私は何を残しただろう」の3回目、一番最後のところが「私は何を残すだろう」に変わったのをご存知でしょうか。
これは作曲した菅野よう子さんによる提案で、岩井俊二さんの承諾を得て変更したそうです。
そうなると、「何を残すだろう」は過去形でなくこれからのことを言っているので、この「私」は生きている私たちということになります。つまり「私」は「亡くなった方々」と「残された私たち」の両方を指すことにした訳です。
復興していく私たちを加えようとしたのは理解できますが、前よりもさらに分かりにくい内容になりました。


 さて、それでは私たちはいったい「何を残すだろう」か、言い換えれば何を残せるでしょうか、あるいは、残す責任があるでしょうか。
震災に関しては、言うまでもなくこれを教訓とした津波対策を含む防災対策の強化ですね。
震災以外にも、環境や社会の問題を解決する道筋をつけることとか、外国の侵略から守る方策等、「より良い未来を残す」という観点で私たちが次の時代に残すべきもの、もっと言えば「残す責任があるもの」はいろいろあります。この時代に生きている一員として、それらのことに無関心・無責任ではいられません。

 一方、もっと身近で個人的なもので言えば、ご家族や近しい方々に楽しい思い出を残すこと、人生の先輩として大事なことを言葉や背中で教えることがありますし、財産や事業を残す人もいるでしょう。

 終活として考えるなら、エンディングノートを書いて各種の引き継ぎデータをまとめることや、家の中の物を断捨離したり、ご自身のお葬式やお墓の費用や段取りを準備しておくことも、残せるもののひとつです。

 「人それぞれに、“忘れたくない記憶”や、“残しておきたい人生の話”があります。

 当舎では、親や祖父母の人生を、現在の姿や声も含めて映像として残す動画制作を行っています。

 親や祖父母へのお祝い・プレゼントとして、モノではなく「ご本人の姿や思い出を残す動画作り」を選ぶ方も増えています。

代表者写真

一分一厘舎代表、映像作家。
2021年3月より自分史動画・終活動画制作を専門にサービス提供中。
動画の制作・撮影・編集ほか、全て私が担当します。
気になることをひとつ聞いてみるだけでも構いませんので、お気軽にご相談ください。