足腰を街道歩きで鍛えて健康維持 第6回:水戸街道

皆さまのご健康とご長寿を願って、「足腰を街道歩きで鍛える」の第6回、水戸街道です。
水戸街道は千住から水戸までの116kmです。JR常磐線とともに北上します。
歩行地図付きの解説本はなかなか見つからず、個人サイトの歩行記に歩行ルートが表示された地図がついているものが複数あるので、それらを利用すれば良いと思います。
私は個人サイトの地図から1日に歩く範囲を十枚程度に分けて印刷し、小さくたたんで持ち歩きました。
スマホで見ても良いのですが、バッテリー切れしてどこにいるのか全く分からなくなるのが怖いのと、やはり何と言っても紙面をパッと広げて見れる一覧性がいいんですね。新聞紙面がTVやインターネットの登場で不要になると言われて何十年も経つのに絶滅しない理由と同じです。
ページ番号を書き加えておけば、合計枚数を分母として行程の進捗具合も分かります。
さて、千住宿をスタートしてすぐ、北千住郵便局の次の交差点で狭い道に右折して日光街道・奥州街道と分かれます。
荒川で道が途切れ、下流の堀切橋へ迂回して2km以上も余計に歩きました。
荒川は後世に作られたもので、昔はまっすぐ街道があったとのこと。知りませんでした。
亀有、新宿(にいじゅく)、金町を過ぎて葛飾橋を渡ると早くも松戸です。
「松戸と柏はお互いに張り合っている」と地元の人が言っていましたが、松戸には「松戸神社」、柏には「柏神社」という立派な神社があります。
「八幡宮」「天満宮」等の系列名?で呼ぶ神社が多い中、両方とも「地元の地名+神社」というシンプルな名前で郷土愛を感じます。
我孫子、天王台を過ぎると大利根橋で利根川を渡ります。この橋はとんでもなく長くてびっくりします。歩いているのでなおさら長く感じます。
渡った先が取手。もう茨城県に入りました。
国道6号線と合流したり離れたりしながら並行して水戸へ向かいます。太い幹線道路よりも住宅街の生活道路や郊外ののどかな道が多くて、気持ちよく歩けます。
牛久、荒川沖を過ぎて土浦へ。土浦大師不動尊大聖寺に四国ミニ霊場があり、境内88(+1)箇所のミニ札所を1時間前後で簡易的に巡礼することができます。きちんと巡拝するには住所・氏名等を記入した納め札が札所の数だけ必要です。
水戸街道の終点とされている場所は2か所あります。
ひとつは水戸宿の中心地で、角に信用組合がある交差点(信号に交差点名なし)。「陸前浜街道起点」と書かれた小さな石碑があります。
もうひとつは備前掘・銷魂橋(たまげばし)の高札場跡です。「江戸街道起点」という新しい石碑があります。水戸から見れば、これは江戸へ行く道。水戸徳川家らしいネーミングです。
どちらも地味でクライマックスとして物足りないので、水戸駅にある黄門様ご一行の銅像にご挨拶し、さらに北へ歩いて弘道館へ。
烈公・徳川斉昭が開いた、日本最大規模の藩校とのこと。
入口を入った正面にドーン!と飾ってある「尊攘」の大きな掛軸(一番上の写真)を見て、ようやく水戸街道のクライマックスとなりました。
やはり最後はインパクトが必要ですね。
昼食は街道歩きの大事なお楽しみ。地元の名物、スタミナラーメンをいただきました。
具材のかぼちゃとレバーが意外で個性的。美味しかったです。
水戸街道は100kmを越える長さで歩きごたえがあり、最後の水戸にはちゃんとクライマックスがあります。
山越えもないので歩き易く、住宅地や郊外の道が多くて落ち着いた雰囲気の良い街道です。
JR常磐線で行き帰りがしやすく、健康のための連続ウォーキングには最適なコースのひとつです。
自分史動画や終活の動画に街道歩きの様子を入れるのもいいと思いませんか。ご希望の際は、可能な限り同行撮影させていただきます。
第7回は成田街道の予定です。
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