足腰を街道歩きで鍛えて健康維持 第10回:鎌倉街道(上道) 

鎌倉街道・鶴岡八幡宮

 皆さまのご健康とご長寿を願って、「足腰を街道歩きで鍛える」の第10回、鎌倉街道(上道)です。

 鎌倉街道は鎌倉時代に鎌倉と各地を結んだ街道で、御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉へ向かった道です。
いくつものルートの鎌倉街道があるとされており、そのうち主要な鎌倉街道は上道(鎌倉から高崎を経て信濃・越後へつながる道)、中道(鎌倉から川口・幸手を経て下野・奥州へつながる道)、下道(鎌倉から松戸を経て常陸・奥州へつながる道)の3つだそうです。
時代が古すぎるため、その後重要性が失われてしまって畑や建物に変わったところも多く、昔の道をトレースして歩けるところは限られています。
今回は上道を高崎から鎌倉に向かって歩きます。行程は約160kmです。
歩行地図は個人サイトの歩行記を検索すれば見つかると思います。

 五街道などのように起点と終点が明確に決まっている訳ではなく、高崎といってもスタート地点がはっきりしませんので、高崎市役所がある高崎城址から歩き始めました。
 群馬県内から埼玉県の途中まではのどかな郊外の道ですので、ハイキング気分で歩けます。
しかし鉄道から離れているところもあり不便です。
初日は藤岡まで18kmほど歩いて十分疲れた頃に神流川へ差し掛かり、渡れる橋が近くにないので最寄り駅のJR八高線群馬藤岡駅から帰ろうとしたら3kmくらい余分に歩くこととなりました。
この八高線というのも曲者で、そのあとも何度か利用したのですが、単線ですれ違い待ちがあるうえに途中の高麗川駅で乗り継ぎとなるため、群馬藤岡駅から八王子駅までは八高線だけで2時間も要します。
余りにものんびりしているので、乗っていて意識が朦朧となるようでした。

 群馬から埼玉にかけては畑の横を通ることが多く、歩いたのが5月頃でしたので小麦が色づいて綺麗でした。
群馬も埼玉も小麦の有力な産地で、地粉のおいしいうどんを食べる伝統食文化がありますね。

群馬の小麦畑

 児玉・美里を経て寄居へ入ると秩父鉄道の小前田駅に接続します。その先の花園・八和田を経て嵐山に入ると東武東上線の武蔵嵐山駅に接続します。
もちろん都心方面へ出られますし、どちらの路線も八高線につながっています。
嵐山から鳩山・毛呂山・坂戸を経て日高に入るとJR川越線の武蔵高萩駅に接続します。その先は狭山で西武新宿線の狭山市駅に接続しています。
もう田園風景ではなく住宅・工業地域です。
所沢を過ぎると東京都に入り東村山・小平・国分寺・府中の市街地です。
行き帰りの交通も発達しています。

 このあたりは新田義貞軍が鎌倉幕府軍を小手指原・久米川・分倍河原の戦いで相次ぎ勝利したところで、鎌倉へ一気に押し寄せる勢いをつけた場所です。
1333年、上総国でわずか150騎で挙兵した義貞は次々に援軍を迎え、利根川を渡った頃には20万騎に膨れ上がり、鎌倉街道を南下して攻め上ったとされています。
「いざ鎌倉」の道が倒幕ルートになったのでした。
分倍河原での勝利後はさらに味方が増えて60万規模になっていたとのこと。
その後幕府軍は鎌倉で7つの切通など地形も利用して守りを固め、双方に大きな被害が出る大激戦になったものの、最後は第14代執権北条高時ほか北条一門が菩提寺の東勝寺で自害して、上総での挙兵からわずか15日で鎌倉幕府は滅亡したとのことです。
これらの様子は太平記(各種出版あり)に詳しく書かれています。

 多摩川を渡って多摩・町田へ続きます。
町田駅前で町田街道の隣の道を通り、南町田・鶴間を経て横浜市瀬谷区に入ると、少しのどかな感じが出てきます。
泉区・戸塚区を通って藤沢へ。その先はもう鎌倉市です。
源氏山公園を下りて扇ガ谷、横大路を通り、最後は鶴岡八幡宮へ
西の鳥居をゴールラインとして、鎌倉街道の歩行完了です。


 高崎から狭山までの田園地域が思ったよりも長く感じ、所沢から南は意外と通り過ぎるのが早く感じました。
都心から放射状に伸びている街道とは異なり、関東平野の西側を南北方向に横切るため、行き帰りで使用する鉄道もいろいろ変わって、楽しくもあり不便でもあり、というところです。
埼玉県内で二軒の住宅の間にあるただの「草むら」が歩行地図では鎌倉街道だとされていて、ちょっと信じられなかったので近くの人に確認してから足を踏み入れたことがありました。珍しい経験でよく覚えています。
終着点の鎌倉では少し観光でもしてから帰りたかったところ、最終日の歩行距離が長くなって疲れてしまい、鳩サブレーを買うのが精いっぱいだった点が残念でした。
最終日の区間は短くなるように調整したほうが良いです。


 自分史動画や終活の動画に街道歩きの様子を入れるのもいいと思いませんか。ご希望の際は、可能な限り同行撮影させていただきます。


 第11回は中山道(1)の予定です。
  

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