足腰を街道歩きで鍛えて健康維持 第11回:中山道(1)  New

横川・おぎのやの釜めし

 皆さまのご健康とご長寿を願って、「足腰を街道歩きで鍛える」の第11回、中山道(1)です。

中山道は日本橋から近江・草津までの508kmで、草津にて東海道と合流します。
草津の追分には灯籠を兼ねた大きな道標があり、東海道の旅で通ったときに写真を撮ってあります(下の写真)。
「右 東海道いせみち(伊勢道)」「左 中仙道美のぢ(美濃路)」と書かれています。

中山道草津の追分

 この立派な道標を旅のゴールに定めて日本橋から歩き始めたのですが、今のところ、遥か手前の群馬県横川で止まっております。
その訳はのちほど。(「美の巨人」のナレーションみたい)

 日本橋から、東海道・甲州街道とは逆に北へ向かうと、すぐに神田駅があって線路をくぐります。
神田明神下の交差点で左折し、やがて東大の赤門が右に見えてきます。
本郷追分で旧白山通り~白山通りを進むと巣鴨です。
巣鴨地蔵通り商店街はなんと中山道だったんですね。知りませんでした。これだから田舎者は困ります(笑)。

 近藤勇の墓所があるあたりを通ると板橋宿です。志村坂上・舟渡を越えて、早くも埼玉県戸田です。
戸田警察からしばらく旧道を進んで浦和に入ります。
浦和・北浦和・与野・さいたま新都心・大宮と、線路に並行するように進みます。
途中、氷川神社一の鳥居から神社までの参道が「古中仙道」なので、そちらを通ってから元の街道へ戻りました。

 宮原から上尾・北上尾・桶川と続きます。桶川宿には車が行き交う県道の両側に本陣跡などの旧跡がいくつかあります。
商店などが立ち並び、全体的には昭和の商店街という感じです。
宿場館で話を聞くと「この先は、こんな賑やかなところはないよ」とのこと。
名産品・べに花の種をいただきました。
 
 北本・鴻巣を経て、吹上からしばらく旧道に入ります。荒川に沿うように進んで熊谷、続いて籠原、深谷へ。
深谷と言えば「青天を衝け」。しかし、大河ドラマの前に歩いたので、深谷駅舎が超絶立派なのは印象に残っていますが、それ以上の感慨はあまり無かったのが今から思えば残念です。
ネギ畑を見つけては、「やっぱり!」と言う程度でした。

 本庄・新町を過ぎて倉賀野に入ると、日光例幣使道との追分があります。
街道を歩いていると時々追分がありますが、目印が何も無い普通の四つ角ということも多いです。
しかしここの追分は実に追分らしい追分です。
まず十字形やT字形でなくY字形に枝分かれしているのが情感に訴えてくるようでとてもいいのと、その付け根のところに昔からの道標が残っている点もいいです。

 その先にだるま弁当のマークが付いた「たかべん」の工場があって、「ここで作っているのか」などと思っているうちに、もう高崎へ。
ここからは電車で言えば高崎線・上越新幹線から信越本線へ、車で言えば国道17号に付かず離れずの道程から国道18号へ変わります。
板鼻・安中・松井田あたりは線路から離れているところも多く、途中で磯部駅までバスを利用しました。
横川の手前から道が線路沿いになり、線路の中にいるお猿さんの一行と遭遇。
やくざ風情の大きなボス猿が線路に腰かけたまま、こっちにガンをつけてくるのを横目で見ながら通り過ぎます。

 横川駅の「おぎのや」に初めて行き、店内で峠の釜めしを食べました。
この釜めしは今やいろんなところで買えるので何度か食べていますが、ここで食べる機会は滅多にありません。
小さな店の中はテーブル席のみで、ほぼ満席でした。
駅前にはテイクアウト客が食べられるテントもあったのですが、折角ですので店内が空いてくるまで待ち、お一人様で席に座って食べさせてもらいました。

 さて、ここから先が問題(だと思っているの)です。
坂本宿と軽井沢宿の間に碓氷峠の山越えがあります。私はかねてよりクマを怖がっていて、クマが出そうな山道を一人で越えるのはほとんど無理なのです。
最近のクマは人と出会っても逃げてはくれず、危険度がものすごく上がっているように思います。

軽井沢町がクマ目撃情報をメール配信しているので配信登録したところ、冬眠時期以外はけっこう頻繁に目撃情報が配信されてくるので驚きました。町のHPでも見ることができます
それも「○○バス停から100m」などと、あちこちに出没している模様。
それを見て、全く先へ進めなくなったのです。
碓氷峠で被害者が出たという情報はあまり聞いたことがないので、気にしなければ良いだけかも知れませんが、「誰か一緒に歩いてくれる人がいれば・・・」と思いながら、ストップしたままになっています。

 軽井沢を越えると、甲州街道との追分がある下諏訪は中央本線が使えて便利ですが、その先はどんどん遠くなっていくとともに、行き帰りの交通が不便になっていきます。
 東海道には新幹線という強い味方があって便利なのと比べると、中山道を最後まで歩くのはとても大変だと思います。
昔風情の宿場跡が中山道のこの先にいくつか残っていて、すごく行ってみたいと思うのですが、いったいいつになることか。
それまでは「中山道(2)」は書けません(笑)。
そんな状況です。

 

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