言葉のスパイス(9) 「父親が子供に語ることは世間には聞こえないが、彼の子孫には聞こえる」

言葉のスパイス 第9回は『父親が子供に語ることは世間には聞こえないが、彼の子孫には聞こえる』(ジャン・パウル)です。
ジャン・パウル(1763~1825)はドイツの小説家だそうです。
「だそうです」と書きましたとおり、私はこの作家のことを知りません。調べてみたところ、たくさんの著作があってドイツでは多くの作家が影響を受けているそうですが、日本ではそのほとんどが翻訳されていないようです。
そんな方の言葉ではありますが、この言葉を知ったとき、東急リバブルのCMみたいに「そうなの?!」と思ってしまいました。何か引っかかる言葉です。
この言葉の意味合いやどんな文脈の中で出てきたのかを解説しているサイトをさがしても見つからず、どういうことなのか詳細は分かりません。
ですので、推測してみるほかなさそうです。
謎がいくつかあります。「なぜ母親ではなく父親なのか」「なぜ世間には聞こえないのか」「なぜ子どもには聞こえるのか」「なぜ子どもだけでなく『子孫』なのか」。
自分の父親と母親を思い出し、さらに一人の父親として自分が子どもに話してきたこと、妻が子どもに話していたことも思い出しながら考えてみました。
その結果の推測ですが、母親は子どもの健康や安全を守り、無事に成長するように、あれやこれやと始終たくさんのことを話しているように思います。
一方で父親は、自分自身がそうだったように子どもも、何かとうるさく言われるのは嫌だろうと考えるのではないでしょうか。
できるだけうるさいことを言わないように我慢して、子どもの好きなようにやらせて見守る。そのうえで、どうしても言っておきたいことだけは言う。それと、厳しい世の中で時々痛い目に遭いながらも、自分自身で経験して強く生きていくしかないと思っている部分もあるかなと。
父親はえてして、子どもにそんな接し方をしていると思います。
子どもから見れば、そんな父親がたまに言うことは父親として何か大切だと思うから言っているのだろうと、心に引っかかって残るのかも知れません。
一方で世間というか家族ではない人がその言葉を耳にしても、この父親が言っていることの特別な重みは分からないでしょう。言っている言葉自体は、世の中の常識のひとつに過ぎなかったり、平凡な内容だったりでしょうから。
父親が大切だと思っていることが子どもに伝わると、子どもはさらに自分の子どもにも同じことを言うのでしょうか。
そういうこともあるでしょうね。ただ、必ずそうかというと、分かりません。
それでもジャン・パウルが「彼の子どもには聞こえる」ではなく「彼の子孫には聞こえる」としたのは深くて、心にすっと入ってくるのではなく、何か引っかかるような残り方をします。
それがこの言葉の魅力であるようにも思います。
皆さまはどのように思われるでしょうか。
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