擬宝珠(ぎぼし)の話

少し仏教めいた話になるので、はじめに申し上げておきますが、当舎は宗教団体や政治団体と関わりはありません(笑)。
古くて格式の高い橋の欄干によくついている擬宝珠について、もう何十年も前に京都で聞いた話です。
擬宝珠は先端が尖っていて、そこから下へ大きく膨らんだタマネギ型をしていますが、これは自分と祖先とのつながりを模している、というのです。
先端を自分自身として、そのすぐ下が両親(2人)、さらにその下が両親の両親(計4人)と考えれば、過去へ遡るにつれて1,2,4,8,16,32,64,128・・・と自分に関係しているご先祖様が増えて膨大な人数になります。そして、もしその中の誰か一人でもご先祖様がいなければ自分は生まれていなかった、ということになります。
前回の記事にも、私たちは「無限につながる祖先の方々の人生が連続した結果この世に生まれ、その影響を受けてきた」と書きましたが、それを形にすると擬宝珠になるということです。
考えてみれば、これはものすごいことですよね。
昔は橋からの身投げが自死の代表的な手段で、身投げする人が後を絶たなかった。そのため欄干に擬宝珠を付けて、多くの祖先のおかげで自分が生かされていることを気付かせ、思い留まるように促した、というお話です。
今では橋から飛び降りる人もほとんどいなくなり、擬宝珠はただの古めかしい装飾にしか見えなくなりました。
同時に、家業を継いだり代々の土地に住み続ける人も昔と比べて激減し、日々忙しい中で祖先とのつながりを意識することも少なくなりましたが、多くの祖先のおかげで生かされているということは、折に触れて時々思い出したいですね。
自分史ビデオがご一家の家系のつながりや、絆を感じられるツールとしてお役に立てましたら、当舎にとりましてこの上ない喜びです。
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