言葉のスパイス(15)「すべての不幸は未来への踏み台にすぎない」 

未来への踏み台

 昨今はニュースを見たり読んだりするたびに憂鬱な気分になります。今年はとくに嫌なニュースが多いと思いませんか。
日本も日本人もこの先どうなってしまうのだろうかと、心配でなりません。
10年以上前、あるニュース番組では、キャスターが毎晩眉をひそめて「ひどい世の中だ、日本は嫌な国だ」とでも言いたいかのような報道を繰り返していて、仕事で疲れて帰宅した後にそれを見てもう一度疲れていました。当該キャスターは数年前に降板し、番組のトーンも変わりましたが、その頃よりも今のほうがいっそう暗いニュースが多いように思います。
そのような中、何か気が晴れる言葉がないものかとさがして見つけたのが今回の言葉です。

 「すべての不幸は未来への踏み台にすぎない」。気が晴れる言葉というよりも、むしろ、そう思わないと救われない、やっていられないという感じかも知れません。
この言葉は米国の作家、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)によるものです。
森の中で自給自足の生活をしたり、自然に対して関心が高かった人だそうで、今のSDGsに通じる先駆者ともいえるようですが、病気のため44才の若さで生涯を閉じています。

 この言葉がどんな文脈で出てきたのか、前後にどんなことが書いているのかに興味を持って少し調べてみたのですが、海外のサイトをさがしてもこれの原文と思われる英文がすぐには見つかりません。
日本語のほうはいろんなサイトに出てくるので有名な言葉だろうと思いますが、その割りに原文がなかなか見つからないのはちょっと変です。さがし方が悪いのかも知れませんが、簡単に見つかっても良さそうなものです。
その代わりに似た意味の、ソローによる言葉がありました。"Let go of the past and go for the future.(過去は水に流して未来に向かえ<当舎訳>)" です。
ただ、「不幸」や「踏み台」にあたる言葉が全く入っていないので、この英文を意訳しても今回の言葉にはならないと思う一方、もしかしたらソローの本の翻訳者が半分「創作」でこの英文をこんな和訳にしたのではないかという気もします。「不幸」や「踏み台」を入れたほうが心に訴えます。

 今起こっているさまざまな嫌な出来事が、より良い未来のための踏み台になるとしたら、ほんの少し心が落ち着きます。もっと言うと、私たちはそれらを未来への踏み台にしていかなければいけないのではないかと思います。

 自分史ムービーや終活動画を制作していると、「私たちの世代から次の世代へより良い未来を残したい」「希望がもっと持てる世の中になってほしい」と願ってしまいます。

 上の写真の子は、今はまだ踏み台をつかまり立ちに使っている状態ですが、そのうちすぐに成長してこの台の上に立てるでしょう。私はこの写真に近い将来への希望と先々の楽しみを感じます。

 それと同じように、私たちは今起こっている憂鬱な出来事についても、なんとかして明るい未来への希望につなげたいものです。

 

当舎は自分史ビデオと自分史ムービー・自分史動画、終活ビデオと終活ムービー・終活動画を同じ意味で考えております。