終活世代の健康趣味・街道歩き 第4回:日光街道
終活を始める年令に決まりはありませんが、定年後から80歳過ぎくらいまでのお歳でまだまだ元気な方々をあえて終活世代と呼ぶなら、その皆さまの健康維持に最適な趣味のひとつが街道歩きではないかと思います。
一人でもふらっと日帰りのお出かけができて、電車賃程度の出費で済み、まとまった距離を歩いて足腰を鍛えられ、単発ではなく何回かの連続企画となる趣味。
そのような街道歩きはまさに最強の趣味ではないでしょうか。
このシリーズでは、関東・甲信で日帰り可能な範囲の街道歩き情報を何回かに分けてお届けします。
(当舎の所在地が神奈川県のため関東・甲信の情報となりますことをご容赦ください)
第4回は日光街道です。
日光街道は、日本橋から日光・鉢石の日光橋まで計140kmのおおむね平坦な街道です。
交通の便がよく、比較的近距離なので、継ぎ打ちの日帰りで歩ける方が多いと思います。
個々の見どころについての解説は書籍や個人の歩行記サイトの記載が圧倒的に詳しいので、そちらをご覧ください。
歩行地図の正確さや見どころ解説の詳しさの点で、書籍「ちゃんと歩ける日光街道・奥州街道」(八木牧夫 著)が一番良いと思います。
最初の見どころ浅草寺から草加へ
日本橋から、東海道や甲州街道とは反対側の神田方向へ歩き始めます。
すぐ先の日本橋室町で右折してしばらく行くと、やがて浅草へ。
駒形橋西詰交差点を折れると、浅草寺が正面にドーンと見えてきます。
浅草寺へはいつも地下鉄浅草駅から行くので、雷門は右横に見えるのが当たり前でした。
大きな赤提灯を真正面に見ながら近づいていくルートは私にとって新鮮で、圧倒的なインパクトでした。
昔は駅など無かったのですから、街道から見えるこの角度が本来のアプローチだったのだと気づきます。
旅の安全を祈願してお参りします。
浅草駅をかすめて歩き、南千住へ。
そこから北千住まで、商店街のにぎわいを楽しみながら歩き、竹ノ塚を通ると早くも草加(埼玉県)です。
街道沿いにある草加せんべいの店で買ったせんべいが湿気っていたのに憤慨しつつ、越ケ谷、粕壁(春日部)と歩いて杉戸まで行くと、国道4号に合流しました。
ひたすら忍耐の国道4号線で宇都宮へ
そこから先は、宇都宮までの間でかなり多くの部分が太い幹線道路の4号線を通ることになります。
広くて車が多い、風情のない道を長々と歩くのは正直なところ苦痛です。
神社やお寺、石碑、古い店など昔の面影をさがしつつ、ひたすら忍耐しながら歩きます。
宇都宮市内に入り、奥州街道との追分を過ぎて郊外へ向かうと、ようやく旧道らしい風情になってきます。
日光街道の目玉・杉並木からクライマックスの日光東照宮へ
今市で突然、道の両側に杉の大木が並び始めます。
そこに石碑があって、この杉並木は川越藩主・松平正綱が寛永2年(1625)から約20年もかけて植樹し、東照宮に寄進したものとか。
俄然、気分が盛り上がります。昔の日光詣での人たちも「いよいよ近づいてきた」と、はっきり感じたことでしょう。
しばらくは車が通る舗装路の両側にあった杉並木ですが、日光へ近づいていくと車道から分岐して、歩行者だけが通れる道になります。
その先、しばらくの区間は舗装もない昔ながらの土の道で、行き交う人もほとんどおらず昔のままの風景を堪能できる、最高の区間です。
これはすごい。
杉並木が終わると日光駅。土産物店などが立ち並ぶ目抜き通りを通って、街道の終点、日光橋に到着です。
ここで帰る人はいないと思いますが、もちろんその先の東照宮へ。
三猿、陽明門、眠り猫など有名なスポットをひと通り見ながら一番奥にある家康のお墓、奥宮宝塔までたどり着き、日光街道歩きを終了しました。
上で紹介した書籍には「日光道中には厳しい山道や峠道が無く、おおむねフラットであり緩やかな勾配があるくらいで、五街道ウォークデビューにはベストなコース選択といえる」と書いてあります。
確かに平坦な道だし、距離も比較的短いので、歩きやすい街道です。クマの心配もないでしょう。
浅草寺や千住で江戸の面影を感じられるところは良いのですが、長い国道4号に辟易する部分もあります。
その後、杉並木のお出迎えで一気に気分が上がり、最後はこの街道の目的地である日光東照宮へ参拝して完了、という街道です。
昔から「日光を見ずして結構と言うなかれ」と言われ、多くの人が物見遊山で歩いたのと同じく、徒歩で日光詣でをした一員になるというのはちょっと特別な気分ですよ。
自分史動画や終活の動画に街道歩きの様子を入れるのもいいと思いませんか。ご希望の際は、可能な限り同行撮影させていただきます。
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吉川 友清
一分一厘舎代表。
映像作家、終活ライフケアプランナー・防災士・援農ボランティア。
2021年3月より自分史動画・終活動画制作専門の「My History Video」サービスを提供中。
制作・撮影・編集ほか、事業全般を担当している。