「シャッター通り」へのノスタルジー 

シャッター街

 昭和30~40年代に子ども時代を過ごした私は、その当時のような古い街並みに興味があります。
とくにアーケード街や古い街の目抜き通りで、かつての店舗がその痕跡を残したまま軒並み廃業しているのを見かけると、賑わっていた当時の姿をタイムマシンで見る映像のように想像したりします。

 幹線道路が新設されて人の流れが変わり、大型店舗が黒船のごとく現れ、有力企業が従業員や家族とともに撤退し、地場産業の衰退で都会への人口流出が続き、団体慰安旅行が減って観光地が取り残される、というような社会構造の変化を、私たちはこの数十年の間に目の当たりにしてきました。
それらが街並みも人の生活も大きく変えてしまいました。

 「シャッター通り」という言葉はよく「再生」「地方創生」というキーワードとともに語られ、社会問題だと言われてきました。
新しいテナントの誘致が進んで再生した成功事例もあるそうですが、一方では「廃業後も2階に住んでいるので立ち退くつもりはない」「店は倉庫として今も使っている」「更地にすると固定資産税が高くなるので取り壊す予定はない」「年金で生活は維持できている」「だから元の店主は今の状態でとくに困っていない」とか、あるいは「若い起業家や芸術家を誘致しても活動が維持できず撤退してしまう」「再生プロジェクトの大半は根付かずに失敗した」などの指摘もあります。
実態は傍目から見るよりもなかなか複雑な状況のようです。

 私は、昔それらの店が商売していた頃の街の活気、生業として収入を得てきた店の方の思い、客としていつも出入りしていた地元の方の暮らし、そういう過ぎ去ってしまったことに対して一種の郷愁を感じるのです。
これはノスタルジーです。
『三丁目の夕日』より少しだけ後の時代ですが、同じような感じです。
でもノスタルジーは過去の時代を知っているから感じるもので、長年生きてきた証しでもあると思います。
昔の街の様子やそこで生活していた方々の姿を想像することにより、自分の子ども時代の記憶や人生の中の残像をさがしているのかも知れません。

 同時に、その当時の街並みや建物が取り壊されず今も残っているということで、何かほっとします。
なくなってしまえば二度と再現することはありません。それはとても寂しいことではないでしょうか。

 この思いは自分史動画や終活の動画にも通ずる部分があります。
人は皆、いつかこの世から去ることになります。
その時に何かを残していないと、その人のことは永遠に忘れられてしまいます。
遺影があっても、写真は何も語ってくれません。
生きている姿と声がありのまま残せるのは動画だけです。
ですから当舎は自分史動画や終活の動画の制作サービスを行っています。


 あなたはシャッター通りを見たときに、どんなことをお感じになるでしょうか。

 

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