終活世代の健康趣味・街道歩き 第15回:川崎街道・府中街道(4)大師道 

川崎街道・江戸名所図会五・大師河原大師堂

 終活を始める年令に決まりはありませんが、定年後から80歳過ぎくらいまでのお歳でまだまだ元気な方々をあえて終活世代と呼ぶなら、その皆さまの健康維持に最適な趣味のひとつが街道歩きではないかと思います。
街道歩きは一人でもふらっと日帰りのお出かけができて、電車賃程度の出費で済み、まとまった距離を歩いて足腰を鍛えられ、単発ではなく何回かの連続企画となる、
まさに最強の趣味ではないでしょうか。
関東・甲信で日帰り可能な範囲の街道歩き情報をお届けするこのシリーズの第15回、川崎街道・府中街道の最終回です。

 本日は川崎宿からご縁日の川崎大師まで大師道で歩いて参拝します。
混雑はなるべく回避したいので、朝は少し早めに出発しました。

大師道旧道入口

 川崎宿から東海道を六郷橋のたもとまで戻り、大師道の旧道入口よりスタートします。旧道は旭町一丁目交差点付近で新道に合流するまで300mほどあり、上の写真にある新しい石碑には「万年横丁」と書かれていますが、今は静かな住宅街になっています。

 新道に合流してから1.3kmほど歩くと、早くも京急・川崎大師駅です。
通常の参拝客は下の写真の右奥に見える「表参道厄除門」をくぐって表参道を進みますが、大師道はそれとは別にまだ続いています。道が左にカーブしているのが分かるかと思いますが、駅の向こう側で線路を越えます。そこから1.4km先、川崎大師よりも向こう側にある大師橋近くの大師河原交差点が終点です。なぜ大師様を通り過ぎたところまで続いているのかは、のちほど書きたいと思います。
表参道よりも遠回りにはなりますが、今回はその途中の京急・東門前駅まで歩き、そこから川崎大師へ向かいます。

京急川崎大師駅

 東門前駅の先で踏切を渡ると、道案内の立看板がたくさんあるので迷いません。表参道の「川崎大師入口」と書かれた赤いゲートから仲見世通りへ。
仲見世通りから川崎大師(正式名称:金剛山金乗院平間寺)の大山門が見えます。あそこが今回の街道歩きの終点です。

仲見世通りから大山門

 毎月21日が月命日ですが、弘法大師が入定されたのはなんと3月21日だそうで、この日は奇しくも年に一回の命日でした。元々旧暦21日だったところ、明治以降は新暦21日になったとのこと。
大本堂の前は「御影供まつり」の飾り付けがされていました。

川崎大師大本堂

 午前8時半頃でしたので、境内はこのとおり空いています。大本堂へお参りして旅の無事完了を報告し、合わせてお祈りしました。その後御朱印をもらいに行ってもほとんど並ばずに済みました。
境内を見て回ったら弘法大師像があり(下の写真)、お水をかけると良いと書いてあるので、両手でひとすくい、かけさせて頂きました。
六郷橋たもとの大師道旧道入口にあった古い道標が移設されているのを見つけました(下の写真)。
「大師河原 災厄消除 従是(これより)弘法大師江(へ)之道」と書かれています。
こうした貴重な道標が現代まで大切に保存されているのはありがたいことです。
 参拝を終えて、大山門の端にある店で定番の久寿餅をお土産に買い、川崎大師を後にしました。

弘法大師像

旧道入口にあった道標

 表参道から参拝した場合、お寺が背を向けているかのように敷地が壁で囲まれていて門がありません。お参りするためには敷地を通り過ぎてから角を曲がり、もう一度曲がって表参道と反対方向に歩く必要があります。一見、これは変ですね。
一番上の写真は天保年間に発行された「江戸名所図会 五 大師河原 大師堂」(国立国会図書館デジタルコレクション収蔵)です。江戸時代も絵の手前右(表参道)から参拝者が歩いてきて、コの字型に折れ曲がって大山門へ向かう姿が描かれています。
普通に考えれば、人がやってくる向きに門があるはずです。
街道歩きではどの街道沿いにもたくさんの神社やお寺がありますが、そのほとんどは門が街道のほうを向いています。

 反対向きに見える理由は川崎大師のWEBサイトで「略縁起」を読むと推測できます。
平安時代に平間兼乗(ひらまかねのり)という元武士の漁師が、お告げに従い海から弘法大師の木像を引き揚げて草庵で供養し始めたのが最初で、その後大治3年(1128)に平間寺として建立されました。
その縁起によりこのお寺は海の方角である東向きに建っていて、東海道方面からの参拝者は西から来るので、反対向きに見えてしまうと考えられます。

 そういえば東海道の港区芝にある御穂鹿嶋神社も、鹿嶋から芝浜に流れ着いたお社をお祀りしたのが起源で、東海道とは正反対の海のほうを向いています。そのように何かの縁起や理由で建てられている寺社は他にもあるのでしょうね。

 大師橋が昭和14年に架設されるまで、その近くに「大師の渡し」「羽田の渡し」の2つの渡しがありました。江戸時代の参拝者は東海道の「六郷の渡し」(六郷橋の前身の橋が明治6年に架設されて廃止)か、この2つの渡しで多摩川を渡って来たようです。今のように東海道/川崎方面からのルートだけではなかったのですね。「大師の渡し」「羽田の渡し」で来た方にはお寺は前を向いているように見えますので、違和感はありません。
大師道が川崎大師を通り越して大師河原まで続いているのは、この渡し場に接続するためだったと考えられます。


 さて、これで今回の旅は終わりました。
最終回の歩行距離は約3.5km、歩行時間は45分でした。久しぶりの街道歩きだったため、リハビリを兼ねて歩くように計画したのですが、その結果、第1回~第3回は1日平均12km、最終回の第4回は3.5kmと、街道歩きにしては短かめの設定となりました。東京・神奈川にお住まいの方でしたら近いですし、健康のため試しにちょっと歩いてみるには大変おすすめのコースだと思います。

 私は神奈川県で長年暮らしていますが、川崎大師はなぜかこれまでご縁がなくて参拝したことがありませんでした。
いつか行きたいと思っていたので、今回の街道歩きを兼ねてお参りできたのは良かったです。

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