自分史動画のワンシーン(15) お菓子の思い出を自分史動画で語って下さい 3.1950年代に発売されたお菓子
「お菓子の思い出を自分史動画で語って下さい」の第3回は、1950年代に発売されたお菓子を見ていきます。
食べ物には自分だけの懐かしい思い出があったりしますよね。子どもの頃に食べていたお菓子もそう。
見るだけでもその時の記憶が鮮明に蘇る、大切な思い出のお菓子、黒歴史のお菓子(笑)、そうしたお菓子がいくつかあるのではないでしょうか。
そうしたお菓子にまつわる遠い昔のできごとを、自分史動画や終活の動画のワンシーンとして語ってはいかがでしょうか。
1950年代に発売された主なお菓子を発売年順に振り返ってまいります。これらの中に思い出のお菓子はあるでしょうか。
昭和26年(1951)
ミルキー 不二家
戦災から焼け残ったボイラー一基で水飴と練乳を製造していた創業者が、その2つを使った幼児向けのお菓子として開発。少子化の影響からでしょうか、現在のミルキー・ブランドサイトでは「自分をいやしてあげるもの」というイメージで、若い女性もターゲットにしているようです。
私はこれが奥歯にくっついて被せ物がとれてしまったという苦い思い出がありますが、今は歯にくっつきにくい「カッチコチミルキー」というのもあるんですね。
ほとんどの方が食べたことのあるお菓子だと思いますが、皆さまはミルキーにどんな思い出があるでしょうか。
パインアメ パイン
時代とともに、1個の大きさが10g→7g→4.8gと段階的に小さくなっています。私が子どもの頃は10g。厚みも結構あり、口に入れるとすごく大きく感じられました。2023年阪神の優勝で一躍、脚光を浴びました。百均で久しぶりに買って食べましたが、よくみると「パインキャンディー」と書いてあります。こちらは同じ製造元ながら微妙に配合が異なるようです。これはあくまでもパインアメとは別物の安売り専用商品だ、という製造元の矜持を見たような気がしました(笑)。
昭和27年(1952)
チョイス 森永
昭和12年(1937)に進物ビスケットとして誕生し、終戦後は進駐軍とその家族向けに製造されていたチョイスが国内向けに発売されたのがこの年で、最先端の生産設備を導入して大量生産時代の幕開けを迎えたとのこと。第2回の記事でも書いた自転車に轢かれた時のお詫びの品として、マリービスケットなどとともに頂きました。
ココアシガレット オリオン
ハイクラウン(森永)もそうでしたが、タバコを模したパッケージのお菓子が子どもウケした時代ですね。「昔は周囲に巻いてある紙が剥がしにくいチョコレートで・・・」という記憶があるのですが、ココアシガレットはチョコレートでもなく紙巻きでもないので、それは別の製品のようです。調べてみたら、その記憶はどうやら不二家・シガレットチョコレートのことと思われます。それにしてもタバコに似せるとは今では考えられない商品コンセプトですが、大らかなところが良い時代でもありましたね。
バターボール UHA味覚糖
今でもそれほど古さを感じないのは私だけでしょうか。逆に言うと懐かしさもあまり無いです。おいしいですが、アメの種類が増えてしまったために売れる機会は減ったのかな、と思います。
昭和29年(1954)
ポップキャンディ 不二家
棒がついたアメを口に入れている状態というのは、何か安心感や満足感をもたらすという心理的な効用があるような気がします。チュパチャプスは味が多様で大人が食べることに抵抗はありませんが、これは子ども専用のイメージです。
オレンジフーセンガム 丸川製菓
駄菓子屋だけでなくタバコ屋の窓口でも売っていた記憶があります。4個入りですが一粒が小さいので、いつも全部一気に口に入れていました。これとは別に、フィルムでひねり包装されたオレンジ色の大玉のガムがタバコ屋で1個売りされていて、アタリつきなので好きだったのですが、ネットでさがしても見つかりませんでした。メーカーも商品名も覚えていません。どなたか詳細をご存知でしょうか。
昭和30年(1955)
前田のクラッカー 前田製菓
今はカナッペを作れる大きさのクラッカーが主流になり、食事としても使われていますが、昔は子どもがそのまま食べるお菓子だったので、このように小さいサイズで良かったのですね。これを懐かしく思う方の多くは「てなもんや三度笠」(1962-1968 TBS系)を視聴していた方でしょう。
エースコイン 日清シスコ
いろんな古銭の形が入っているので、表面に書いてある文字をひとしきり見て、次に袋の裏の一覧と照合し、それが終わってから食べていました。いろんな形のものが入っていて、まじまじと見てから食べるお菓子は、これがはしりだったのではないでしょうか。
カンロ飴 カンロ
初めて食べたとき、意外な砂糖醤油味にちょっとビックリしました。本当に醤油が入っているようです。あまり無い味のアメですが、子ども心に「この味は賛否両論あるだろうな」と思いました。
アーモンドグリコ 江崎グリコ
アーモンドの香ばしい風味が入った独特の味のキャラメル。食べたときのインパクトや満足感が強いので、友達にもこれの熱烈なファンがいました。
昭和31年(1956)
でん六豆 でん六
この会社(でん六)は山形市の会社なんですね。豆やナッツを使ったお菓子とおつまみに特化して独自の地位を築いています。でん六豆が発売とともに大ヒットして、社名まで鈴木製菓からでん六へと変えるに至ったそうです。私はバターピーナッツはでん六が一番おいしいと思っております。
昭和32年(1957)
マイクポップコーン ジャパンフリトレー
子どもの頃はポップコーンといえばマイクでした。当時の袋は今の水色をベースとしたデザインとはまるで違い、赤が主体で真ん中に透明部分があり、中身が見えました。玩具のホッピング?に乗って跳ねているキャラクターの絵があったと思います。当時の袋の写真はネットで探しても見つからず残念です。
グリーンガム ロッテ
子どもの頃はロッテの各種板ガムが定番で、不動の地位にありました。スペアミントガム(1954-1997販売終了。その後復刻版を販売)のほうが古いのですが、ここでは販売が継続しているグリーンガムを取り上げました。今は昔のデザインから大幅に変わってしまって、懐かしさはあまり感じられないのが残念です。
昭和33年(1958)
アーモンドチョコレート(現アーモンドピーク) 江崎グリコ
スライドして開ける横長の赤い箱は2007年頃になくなってしまったようです。販売を終了したというよりは商品名も含めて全面リニューアルした模様で、現在買えるのは「アーモンドピーク」だそうです。しかし名前も箱も中身も別物で、懐かしさや以前との連続性は感じられません。
昭和34年(1959)
ベビースターラーメン おやつカンパニー
日清チキンラーメンをそのままかじっておやつにしていたのが始まりですよね。しかしそのままでは塩分が強すぎるし量も多いので、子どもが食べやすいこの商品が生まれたのでしょう。ところが元祖の日清食品はついに "そのままかじる用" に薄味加工した「0秒チキンラーメン」を発売しました。チキンラーメンの発売から六十余年、日清社内ではそのままかじる食べ方に対する賛否の議論が繰り返されてきたはずですので、その意味で従来の方針を大転換したことになります。ベビースターラーメン(チキン味)は内容量21g、36g、68g、74gとさまざまで子どもも買いやすいという利点はありますが、味の比較も含めて、今後どちらがより支持されることになるのか楽しみです。
カンパン 三立製菓
もともと軍隊用の戦闘用糧食として開発され、今も陸自・空自で採用されているそうです。糧食の一食分はカンパン150gと金平糖・オレンジスプレッド・ソーセージ缶のセットだそうで、百均で売られているものが一袋100gですのでその1.5倍。実際に食べてみると分かりますが、150gも食べるのはちょっときついですし(笑)、かなり時間も要してしまいます。お腹が減ったとき、こまめに食べるという想定なのでしょうか。
サンリツパン(生産終了) 三立製菓
子どもの頃はサンリツパンという日持ちのする菓子パンがありました。ほんのり甘くて、子どもの空腹をちょっと満たすためのものでした。いつの間にか販売終了したようですが、その歴史は形を変えて「かにぱん」に受け継がれている模様です。
百均へ行くと、昔からのお菓子をたくさん見つけられますよね。百均専用に製造した商品もありますが、新しいお菓子との競争で、通常価格ではなかなか売れなくなったのかも知れません。それでも、安く買えるのは良いことです。
次回は1960年代に発売されたお菓子を見ていきます。
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吉川 友清
一分一厘舎代表。
映像作家、終活ライフケアプランナー・防災士・援農ボランティア。
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制作・撮影・編集ほか、事業全般を担当している。