自分史映像の制作は山登りのようなものだと思う理由

自分史ムービー・終活動画など自分史映像の制作は、時間と労力がかかる作業の連続です。
この作業はまるで山登りのようなものだと感じています。
これには二つの理由があります。
ひとつは編集作業の前工程における、文字起こし・字コンテの作成という事前準備から編集ソフトのタイムライン上での構築の部分で、コツコツと大変地味に行う作業の繰り返しです。
もし手を抜いて作るのであれば、いきなり編集ソフトを立ち上げて映像と音声をどんどん乗せていけば良いのでしょう。例えば「猫の動画」などで、「笑えるしぐさをしているところ」のように使いたいシーンが明確で、しかも人の会話がほとんど無いような簡単な動画なら、それで良いと思います。
しかし自分史映像など多くのお話を撮影したものでそれを行うと、折角長時間にわたってお話しいただいたお客様の思いを軽んじた荒っぽい構成になると同時に、どの部分を選ぶかを考える際にいちいち映像を再生しながらさがすという、かえって非効率な作業にもなります。
文字起こしと字コンテの作成はすごく面倒ですが、"急がば回れ" で、編集ソフトに乗せていく前の作業として省略してはならないものと当舎は考えています。
この作業は、山登りの前半で木々が鬱蒼と生えている山中の視界が開けていないところをひたすら歩いている状態に似ています。どちらも道まだ遠く、終わりが見えていません。
この段階では前に待ち構えている膨大な作業にうんざりしないようにしながら足元を見て一歩ずつ歩いて行くことが求められ、多くの忍耐が必要になります。
人によって好き嫌いが分かれそうです。不向きな方にとっては耐えがたい作業になるでしょうし、自分でできるくらいに編集技術をお持ちの方であっても、この苦労を知っていれば「多少お金を払ってでも、できれば代わりにやってほしい」と思う方もおられるかと思います。
「山登りなんて、しんどくて嫌」という方がいるのと同じですね。
しかし忍耐を続けていると、ある段階で一気に作品の完成形がはっきりと見えてくる瞬間があります。
それはちょうど山登りでだんだんと周りの木々が減り、パッと視界が開けて山頂が見えた瞬間とよく似ています。うれしいひとときで、醍醐味でもあります。これが二つ目です。
多くの場合、それは編集作業の後半でBGMを加えたときです。
自分史映像のBGMには、その方の人生におけるさまざまな思いを音楽で表現するという性質があります。
それらにふさわしいBGMが見つかって映像にピッタリ嵌ったときの感動は映像に魂が宿ったかのように感じるもので、編集者がお客様に先立って味わえる特権でもあります。
山登りで山頂が見えると俄然元気が戻ってくるように、BGMがうまくはまると完成するのが楽しみになり、残りの作業にいっそう力が入ってきます。
もし省力化して手軽に編集しようと思えば、BGM用の曲を数曲ストックしておき、それらを何度も使い回せば良いのでしょうが、当舎はそうしておりません。
一件ずつ、内容にふさわしい曲をその都度選定して使用しています。短い挿入曲が他の作品と重複することは全く無い訳ではありませんが、主題曲を使い回すことはありません。
選定する作業にも時間がかかりますが、この作業は大変重要なものと考えています。
現在制作中の自分史映像作品に、先日BGMを載せました。
曲調も、そして実は曲名さえも作品の内容にちょうど合う、穏やかで優しくて、ちょっと寂しい感じのピアノ曲です。
映像を再生してみるとお客様の人生の物語が際立って見えるようになり、手前味噌?ですが感じたとおりに申し上げれば、お客様・作曲者・当舎の波長がまるで同期しているかのような感動を覚えました。
登頂までにはまだ距離があります。残りの作業に力が入ります。
当舎は自分史ビデオと自分史ムービー・自分史動画、終活動画と終活ビデオ・終活ムービーを同じ意味で考えております。