自分史動画のワンシーン(16) お菓子の思い出を自分史動画で語って下さい 4.1960年代に発売されたお菓子
「お菓子の思い出を自分史動画で語って下さい」の第4回は、1960年代に発売されたお菓子を見ていきます。
対象年令をおおむね60才以上としている関係で、年代順に見ていくのは60才の方が子ども時代の中心だった1960年代までとさせていただきます。何卒ご了承ください。
食べ物には自分だけの懐かしい思い出があったりしますよね。子どもの頃に食べていたお菓子もそう。
見るだけでもその時の記憶が鮮明に蘇る、大切な思い出のお菓子、黒歴史のお菓子(笑)、そうしたお菓子がいくつかあるのではないでしょうか。
そうしたお菓子にまつわる遠い昔のできごとを、自分史動画・終活の動画のワンシーンとして語ってはいかがでしょうか。
1960年代に発売された主なお菓子を発売年順に振り返ってまいります。これらの中に思い出のお菓子はあるでしょうか。
昭和35年(1960)
ムーンライト 森永
森永ビスケットのシリーズの中でどれが一番好きかは人によってさまざまかと思いますが、これはお好きでしょうか。マリーやチョイスと比べて、よりサクサクしていて、表面がザラザラしたホームメイド風の質感もあります。昔は今よりも大きかったですね。
クールミントガム ロッテ
昔のデザインは左端に南極の風景とペンギンの四角い絵があり、小さくクジラも書いてありました。ロッテの板ガムシリーズはその後も、フレッシュミント(黄緑)、ペパーミント(ピンク)、ジューシー&フレッシュ(黄)、グレープフルーツ(水色)、コーヒー(茶)、アセロラ(赤)が発売されてバリエーションが増えました。私はクールミントはちょっと辛く感じたので甘めのスペアミント(白)が好きでしたが、皆さまはどれがお好きだったでしょうか。
フエガム コリス
丸いガムの真ん中に開いている穴が笛になっているガム。売っているのはよく知っていましたがあまり買った記憶がなく、不思議と縁の遠いお菓子でした。皆さまはいかがですか。
フィリックスフーセンガム 丸川製菓
小さいガムで1個売りのため買いやすくて、ときどき買った記憶があります。フィリックスがTVアニメでけたたましく「ハハハハハ・・・!」と高笑いするのを多少の違和感とともに見ていました。関係ないのですが、高笑いといえば東野英治郎の黄門さまも思い出します。
昭和36年(1961)
マーブルチョコレート 明治
鉄腕アトムのシールが筒の中に丸まって入っていました。この頃はお菓子だけでなく、ふりかけなどいろんな食品のおまけでシールがよく入っていました。子どもにしてみれば、もらった以上はどこかに貼りたくて仕方ありません。箪笥やら机やら、家の中に貼りまくって怒られた方も多いのでは?(笑)
エンゼルパイ 森永
昔は1個売り~2個売りでした。今よりもずっと大きくて、1個でもお腹にたまった記憶があります。それ以前にあったお菓子と比べて手の込んだ作り方で、進化を感じるお菓子でした。
各種粉末ジュース 松山製菓
この会社のものだったかどうか定かではありませんが、水に溶かすと炭酸入りジュースになる粉末が売られていて、子ども心にすばらしいと思っていました。それでも、あまり買ってもらえなかったのは親の方針だったのでしょうかね。その後人工甘味料が問題になって、あまり見かけることがなくなりました。
昭和37年(1962)
えび満月 三河屋製菓
第1回の量り売りでもご紹介したせんべいです。片栗粉入りの薄いパリパリ食感のせんべいはオレンジ色一色のものなど多数ありますが、これはちょっと高級な部類ですね。しかし昔よりもえびが小さくなり、青のりもさびしくなった気がします。百円菓子コーナーに置いてあるものは「えび欠品」という反則技が混じっていたりします。
チロルチョコ チロルチョコ
昔はチロルチョコといえば正方形でなく長方形のミルクヌガーでした。大きい分だけ、ちょっと高かったですね。その発売から60年経ち、チロルチョコ社は「ミルクヌガー60周年記念キャンペーン」を行っています。
ポテトチップスのり塩 湖池屋
ポテトチップスは湖池屋かカルビーか、それとも別のメーカーか、ファンが分かれるでしょう。のり塩は、日本的な味にするため海苔を入れた湖池屋のオリジナルだそうです。カルビーのポテトチップスは意外と後発で、かっぱえびせん(下記参照)、仮面ライダースナック(1971)、サッポロポテト(1972)よりも後の1975年発売だそうです。
ルックチョコレート 不二家
4種類の味が入ったチョコレートとして画期的でした。初代はバナナ・ストロベリー・キャラメル・コーヒーの4つだったそうですが、その後は組み合わせが変わったり、味のバリエーションが何種類もできたりして現在に至っています。
昭和38年(1963)
プリッツ 江崎グリコ
小さい頃、足の骨にヒビが入って足先からふくらはぎまでギブスを巻かれました。カチコチになったギブスを病院で交換してもらうときに使われたのが、回転歯むき出しの恐ろしいカッター。これを足に当てて材木のように切っていく訳ですから、子どもが怖くないはずがありません。毎回、最大級の恐怖心で大泣きしていました。ギブスを外した足指の間には垢が溜まっていて臭かったものです。恐怖のあと、病院内の小さな売店で買ってもらったのがこのプリッツ。このお菓子にどれほど癒されたことでしょう。今の子どもたちには少し地味で感想もないお菓子かも知れませんが、私にとっては強烈な思い出です(笑)。
クッピーラムネ カクダイ製菓
小袋に入ったラムネ。この商品に限らず、昔は多種多様なラムネ菓子があって、商品名もメーカーも知らないまま、いろんなラムネを食べていました。その後は他のお菓子に押されてか、それほど話題にならなくなったように思っていましたが、2018年に森永が「大粒ラムネ」を発売して話題になり、またラムネブームが起こっているようですね。
昭和39年(1964)
かっぱえびせん カルビー
これが出てからは子どもたちの間で超定番商品になったものですが、今はそれほどでもないのでしょうか、うちの子はあまり見向きもせずに育ったように思います。海で観光船などに乗るとカモメが飛んできて、乗客が投げ与えるのはなぜか、このかっぱえびせんと相場が決まっていましたね。空中キャッチするのがおもしろくて投げた方も多いのでは?カモメさんたちにとっても定番でしたが、脂質や塩分の摂りすぎにならなかったのでしょうか。
ガーナミルクチョコレート ロッテ
板チョコのミルクチョコレートを森永・明治とご紹介しましたのでロッテも取り上げます。私はこの3つのどれが好きというほど違いが分からないのですが、こだわって選んでいる方もおられると思います。こういうものは百均にも置いてあったりドラッグストアで安売りしていることも多くなりましたね。
ハイクラウン(販売終了) 森永
タバコの紙箱に模したパッケージで売られていました。少し前まで百均で中身が少ないものを売っていたと思いますが、その後販売終了となっています。今はごく一部の店でデザインを一新したハイクラウンが限定販売されているようです。
昭和40年(1965)
チョコベビー 明治
小粒のチョコがたくさん入っていることや、プラスチックの赤いフタを上げて手のひらに出したり口に直接入れるという食べ方が、当時は斬新でした。味には特別な違いがなくても気に入って買っていたお菓子です。
源氏パイ 三立製菓
翌年の大河ドラマが「源義経」に決まったことを受けて、それにあやかり命名されたとのこと。三立には「平家パイ」もありますが、こちらはずっと新しくて2012年発売。やはり同年に放送された大河ドラマ「平清盛」にあやかったそうです。「平家パイ」のほうがいまいちマイナーで、"ついで" のように見えてしまうのは、いろんな意味で仕方ないのかも知れません。
ココナッツサブレ 日清シスコ
今は5枚入りの小分け袋が4つ入って20枚入りですが、発売当初は28枚入りで、その後次第に枚数が減っていったようです。箱の中にぎっしり並んで入っていた頃はちょっと壮観に見えたものですが、百均で売られているのを見て「これがたったの百円?」と驚いたり、メーカーを気の毒に思ったものでした。
昭和41年(1966)
ポッキーチョコレート 江崎グリコ
初めて見たときは「プリッツの味が単調なので、それにチョコレートをかけたのだろう」と思っていました。棒の部分やチョコレート自体は前からあったものでも、それらを組み合わせると別の商品になって人気が出るのだなぁと思ったものです。大人になって、「組み合わせて新しいものを生む」という方法はアイデアの生み出し方や発想法の基本と知りました。
昭和42年(1967)
チョコボール 森永
何かが当たる・もらえるというキャンペーンが前面に出たお菓子ですね。「おもちゃのカンヅメ」は皆んながほしかったのではないでしょうか。私は銀が1回だけ出たことがありますが、道が遠くてあきらめてしまいました。それでも別の抽選キャンペーンで、ヒモを引っ張るとキョロちゃんがしゃべるプラスチック製のおもちゃが当たったことがありました。
チョコフレーク(販売終了) 森永
当たり前のようにあったお菓子ですが、手が汚れるためスマホやPCを使いながら食べられないというので販売終了になってしまいました。そう聞くと、手が汚れるお菓子はポテトチップスなど他にもあるので、少し腑に落ちないですね。ひと頃は、小さな塊にした「チョコフレーク<武骨な塊>」というものが代わりに売られていました。
ハイエイトチョコ フルタ製菓
錠剤のお薬のようなパッケージに入ったマーブルタイプのチョコ。これは8の字型で、翌年発売のわなげチョコはドーナツ型です。お薬においては、破ったときにできるアルミの破片をお年寄りが薬と一緒に口へ入れてしまうおそれがあると、最近話題になっていました。このお菓子は発売以来だいぶ経っていますが、子どもも注意しなきゃ。
昭和43年(1968)
アスパラガス ギンビス
第1回の量り売りでもご紹介したもので、先日「お菓子の千石」(厚木)で子どものとき以来数十年ぶりに、ガラスケースごしの対面を果たしました。硬めのビスケットで練り込んだ黒ゴマと表面の塩の風味が特徴の懐かしいお菓子です。「アスパラの形に見えない」と今さら言うのはやめておきましょう(笑)。
ホームパイ 不二家
サクサクした食感のパイ菓子で、発売当時は「こんなにおいしいお菓子ができたのか」と衝撃を受けました。お菓子の進化を感じたのです。不二家のwebサイトにはパイ層が「約700層」と書いてあります。すごいですね。今の子どもたちは何も驚かないと思いますが、新しく何かが登場したときに驚くことが昔よりも減っているようで、かわいそうですね。
カール 明治
2017年に生産工場5拠点のうち坂戸・藤枝・高槻・蔵王の4箇所で生産を終了し、松山工場のみの生産となったため西日本限定販売とされたことが、当時ニュースで大きく報じられました。もしかしたら、これもチョコフレークと同様に「手が汚れる」という理由で売れ行きが落ちていたのでしょうか。新大阪駅のお土産物屋などで見かけたことがありますが、旅行中は嵩張ってカバンに入らないため買えないことも多いです。
昭和44年(1969)
アポロ 明治
1969年7月にアポロ11号が初めて月面着陸を成功させましたが、なんとその翌月にこのお菓子が発売されています。アポロをお菓子の名前に使用するための商標は1966年に登録済みで、計画的に商品開発していたのですね。翌年1970年の大阪万博では、アメリカ館のアポロ号と月の石の展示が超目玉でした。皆んなが世の中の大きな進歩をリアルタイムで経験しながら生きていた、本当にいい時代でした。
ハイソフト 森永
出た当時はちょっと高級なキャラメルというイメージでしたが、今は私がよく行く百均のレジ横にいつも置いてあります。味は昔と変わらずおいしいのですが、時代のほうが変わったのですね。
おにぎりせんべい マスヤ
マスヤは伊勢の会社。東日本での販売は遅れたようです。私は関西出身なので昔から当たり前のように知っていましたが、関東の方は知らない人が多くて驚きました。なんとマスヤのwebサイトには、2011-12年に実施された「おにぎりせんべい47都道府県認知度調査」の結果が出ていて、それを見ると東京・神奈川では認知度が50%台で低迷しています。ちなみにこのせんべいは三角形ですが、三角形のおにぎりの発祥は東海道の川崎宿だという説があります。徳川家の御紋である三つ葉葵に似せたのだとか。関西のおにぎりは昔は三角形でなく俵型が主流だったのに、せんべいの形をわざわざ関東風に作ったのだから、もうちょっと頑張ってほしいですね(笑)。
以上、1960年代の主なお菓子としてあげさせていただきました。
おまけとして、1970年代初めのお菓子を少しだけあげておきます。
昭和45年(1970)
いちごみるく サクマ製菓
昭和46年(1971)
チェルシー 明治(2024年3月販売終了)
小枝 森永
キャラメルコーン 東ハト
コービービート 明治
皆さまは何か懐かしいものを見つけたでしょうか。
お菓子にまつわる遠い昔の思い出は、あなたの子ども時代の暮らしぶりを象徴するもののひとつかと思います。
その話を自分史動画や終活の動画で語りませんか。
今でも売っているお菓子なら、現物を手にしてお話しいただけますね。
人生を振り返る貴重なワンシーンになれば幸いです。
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吉川 友清
一分一厘舎代表。
映像作家、終活ライフケアプランナー・防災士・援農ボランティア。
2021年3月より自分史動画・終活動画制作専門の「My History Video」サービスを提供中。
制作・撮影・編集ほか、事業全般を担当している。