言葉のスパイス(20)「木を植える人は自分自身に加えて他人も愛している」~人生観や終活動画にも関係

今回の言葉のスパイスは「木を植える人は自分自身に加えて他人も愛している(He that plants trees loves others besides himself.)」(トーマス・フラー)です。
この言葉は一見、SDGsや環境保護の植樹活動の話かと思えますが、大多数の一般市民にとって植樹を行う機会はほとんどなく、関係が薄いかと。
しかし、この言葉は木を植えるということに留まらず、もっと奥が深い人生観に関係する話であり、その意味では誰もが関わる重要な視点だと思います。
そして終活動画・自分史ムービーにもかなり関係している話です。
どういうことか、この言葉が生まれた背景を見てみましょう。
トーマス・フラー(1608-1661) はイギリスの聖職者・歴史家です。意外と古い時代の方ですね。
周囲によく語っていた「どんぐりを植える老人の逸話」というのがあるそうです。
あるとき、汗をかきながら庭の土を一生懸命掘ってどんぐりを植えている老人がいました。
通りかかった人が何をしているのかと尋ねると、老人は「樫の木を育てようと思って植えている」とのこと。
それを聞いて、この人は「どんぐりが樫の木に育つまでには何十年もかかり、あなたはそれよりずっと前に死んでしまうではないか」と言って笑いました。
すると老人は「これは自分のためではなく、他の人のために植えているのだ」と答えたそうです。
自分の得にはならず、むしろ自分が死んだ後の人たちのために何かを残そうというのは共感される行為です。
何もしなければ「自分本位で勝手に生きて、勝手に死んでいく」ということになるのかも知れませんが、そういう生き方、死生観とは異なります。
これは社会貢献というような立派な行為でなくても、家族や身近な人に大切な何かを残すということでも良いのだろうと思います。
では何を残すかです。
財産を相続するという人もいるでしょうが、財産はそれほどないという場合もあります。
それでも、例えば「私はこういう人生を生きてきた」という記録を残すことはどなたにでもできます。
NHKの『ファミリーヒストリー』をご覧になったことがあればお分かりのとおり、両親や祖父母、その前の祖先がどこでどんな人生を送ってきたかという情報は、その子孫であるゲストの「ルーツ」であり、貴重な宝物です。
人生訓のような言葉が残されていなくても、生きざまなど「その人の背中」から伝わってくることがたくさんあります。
終活動画や自分史ムービーは何代も遡って調べませんので「一代記」ですが、意図するものは『ファミリーヒストリー』と同じです。
家族も知らない遠い昔の暮らしぶりや数十年の人生の紆余曲折、その中で苦労したり考えたりしてきたことを自然な形で映像化するだけで、後の世代に貴重な宝物を残すことができます。
終活動画や自分史ムービーは、人生を一旦振り返ってみたり、この先の人生をどう楽しんでいこうかと考えたりするという「自分のため」という側面がありますが、それと同時に「子どもや孫、さらにその先の子孫のために自分の人生を記録して残す」という側面もあります。
もし「自分のためとしては必要ない」という場合でも、「子どもや孫のため」に作ってはいかがでしょうか。
後の世代に残せる大切なもののひとつとして、終活動画や自分史ムービーの制作をぜひお考えになってみてください。
自然体の姿を嫌味なくさらりと記録して、一本の映像にまとめます。
一般的には「終活」というと死ぬ前の準備や身辺整理に関することがイメージされがちですが、終活動画にはそれらの事務的なことや手続などとはちょっと違う、大事な意義があるとお分かりいただければ幸いです。
最後に上の写真についてです。
これは自分で植えた木ではなく、2~3か月前から葉っぱが変わった形の植物が庭に生えてきました。鳥がどこかから運んできた種子の実生でしょう。
「雑草じゃないよ」と語りかけてくるような存在感があり、何か分からないまま、ひっこ抜かずに様子見していました。
少し育ってきたので調べてみると、どうやら『ヤツデ』のようです。
いまは葉の切れ込みが5枚しかありませんが、育っていくうちに7枚、9枚と増えていくらしいです。
この場所は年じゅう日陰なので、環境が適していて実生したのでしょう。

この写真は天狗伝説で有名な大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)にある大天狗像です。
天狗の羽根で作られた団扇を持っています。
『ヤツデ』の葉はこの羽団扇の形に似ているため「テングノハウチワ」という別名もあり、魔物を追い払うとされているそうです。
突然やってきたこの珍客が、ここが居心地いいと言うのでしたら、歓迎して大事に育てたいと思います。
当舎は自分史ビデオと自分史ムービー・自分史動画、終活動画と終活ビデオ・終活ムービーを同じ意味で考えております。